自己分析的備忘録

精神療法家(修行中)による日々の日記帳

治療の進め方

どうやって進めるのか。一般的にはアセスメントなどに基づいていくわけだが、治療とアセスメントは分かち難く、関与的観察のような感じで、関わりつつ、観察していきつつ、関わりつつ‥というプロセスになることが多いと思われる。

そういう時、治療を大きく進めていく、治療者自身の原理原則のようなものがある、と思われる。ポリシーというか、パソコンで言うならOSあたりのこと。その中には、恐らく広い意味での宗教性、哲学、その人の人としてのあり方(現存在のあり方)なども含まらる。否応無しに、その人の来し方行く末というか、生き方、周囲の人との関係、なども影響してくるのだろう。というか、実はそこら辺のことこそが、治療に大きく関わってくるのではないか、と思う。それ故に、残念ながら、生まれ持った気質的なことや環境的なことは無視できないと思う。どうにもならない部分というか。もちろんこれは、どういう育ちがよいという議論ではなく、どうにもならない部分を内包しているのだ、というような自覚があるのが大切なのでは、と思う。

ただ、誤解してはならないのは、何が(生まれ持ったもののうち)治療的に作用するか、わからないという点だと思う。それを自分で見つける、見極めていくというのも大切ではないか、ということ。