自己分析的備忘録

精神療法家(修行中)による日々の日記帳

2019-04-01から1ヶ月間の記事一覧

短期的、中長期的な目標

中長期的な目標やビジョンは、その人がどう生きていくのかのような、大きなものになると思われる。もちろん、そこには精神療法だけでなく、治療者自身の個人的な要因も大いに関係してくる。特に自らの家族の存在は、否応無しに、治療者の生き方などを規定す…

治療の進め方

どうやって進めるのか。一般的にはアセスメントなどに基づいていくわけだが、治療とアセスメントは分かち難く、関与的観察のような感じで、関わりつつ、観察していきつつ、関わりつつ‥というプロセスになることが多いと思われる。 そういう時、治療を大きく…

箱庭

・コミュニケーションのツールとして ビオン のグリッド上では、どこら辺に位置するのか‥?言葉とは違う表現 コミュニケーションの手段の一つ ・緩衝材として 治療関係の間にある存在 ・視覚化する媒体 治療の中で表現されるものを形として、後で再び見るこ…

閃きなど

治療が進展していく中で、治療自体が膠着したり、なかなか先がみえくなる時など、どのようにすればよいのか‥? じっと待つ、というか、必要なことをしつつ、時が来るのを待つ‥ そういう時、スーパービジョンや、チームでのカンファレンスなどが重要とされる…

影(シャドウ)

ユング的影、という現象について。 書籍や自己との対話、あるいは、臨床を通してしかわからないのだが、影なるものとの対決(あるいは対話)、というのは、なかなか難しいと思う。 そもそも自分にとって受け入れ難い存在なわけで、それと対話するなどというこ…

アニマ

ユングの指摘するアニマというのは、なかなか難しく捉え難いものだと思う。 書籍などを通じて、なんとなくわかった気になるものの、実際にはどうなのだろうか? 自分は臨床、自己分析(努力中)などを通して、おぼろげに、ぼんやりと、把握するまではいかない…

臨床のスタイル

その人のパーソナリティ、医療の考え方、治療の哲学など… 自分のスタイルを貫く核みたいなものは、どれくらい変わっていくのだろうか? 自分の場合、大きな核となる部分は、それほど変わりはないように思う。様々な臨床家との出会いで、そういう核の部分が改…

精神療法の学び方②

様々な精神療法の先達や実践者に会って話しを聞いていて思うのは、自分の実践する精神療法の限界や弱みなどを知っていることの重要さである。何にでも効果のある技法などというものは存在しない。それに、我々が向き合うのは心の病(と仮にしておく)そのもの…

精神療法の学び方①

どのようにして学んでいくのか? 学んでみたい分野の指導者、先達者が身近にいればよいわけだか、それが叶わない人もたくさんいる。外的な要因で叶わないことや、巡り合わせでうまくタイミングが合わないということもある。そもそも、自分の住んでいる地域で…

自分の感情と対峙する

自分の感情と向き合うこと、意識化すること、などのことは重要と言われているが(治療場面だけではなく様々な場を含む)、それは決して簡単なことではないと思う。特にネガティブな感情の場合。 後で振り返ってみると(数年前も含む)、怒りや不安、哀しみなどに…

治療に用いる技法について

エビデンスはもちろんだが、自分に向いているのかという適性的なことに加えて、それまでの出会いなども相当に作用すると思われる。もちろん、現実世界での出会いだけでなく、書籍や学会などの場も含む。 自分の場合は最初の出会いや縁などが大きく作用してい…

治療者の自己愛②

治療場面だけでなく、日常生活においても、自己愛というものの取り扱いは、中々厄介だと思う。 他者への思いやり、と思っていても、よく考えてみると自己愛を満たすだけであった、、などいうことがあるのではないか? 一方で、自己愛というのは、大小様々な…

治療者の自己愛①

ほどほどの自己愛は必要であろうが、その見極めは難しいと思う。 自分なら治せる、とか、自分にしかできない、などと思ったり、誰かに教えたい、とか、わかってもらいたい、などという心の動きには注意する方が良いのかもしれない。 しかしながら、そう思う…

無意識の探求

いったい、どれほどの人が、自らの無意識などというものに向きあうことになるのだろうか? 自分にとって自分の無意識というのは、捉え難く、不可思議であり、畏怖の対象である。 様々な精神活動を通して(投影や夢も含む)、ほのかな無意識の片鱗をみることが…

過ぎ去っていった人たちについて②

もう会えない人達について想いを馳せていると、今はどうしているんだろう、というのはもちろんだが、あの時こうしていればよかったな、のような起こりえた可能性についてよく考える。時にはネガティブに、後の祭り的な心持ちになる訳だが、そういうのは決し…

過ぎ去っていった人たちについて①

自分がかつて出会い、そのときは苦楽をともにした人々がいるわけだが、いつしか、時の流れのなかで別れ、または、合う頻度が減っていくと、自ずと別れることになる。 これが最後の別れ、とある程度認識していた人もいるが、それはあまり多くないと思われる。…

最初に

ブログ始動。 精神療法の学び(自己分析的)、日々の雑記、思ったことなどの記録。 息切れすることなく続くことを目標に・・・・